彼のためにすべき事

ブログを書く気にはなれないですが、これも自分へ与えられた使命と思い綴ります。

本日、同じVAD仲間である方(彼)が亡くなられました。

彼のお母様から連絡が届いた際、自分の中で何かが崩れていくのを感じました。

自宅で仕事をしておりましたが、当然仕事は手につかない。

それでも何かをやっていないと正気を保てないと思い、仕事へ没頭する。

 

今日はブログというより特定の方へ宛てたメッセージです。

彼との出会い

私が補助人工心臓を装着し、一般病棟の特別室へ上がってきた時の事。

今でも鮮明に覚えています。

 

彼を含めた数名が病室へ入ってきて、簡単な自己紹介をいただきました。

その時に初めて自分以外で補助人工心臓を装着される方の姿を見ました。

 

 

 

 

すたすたと歩いて部屋に入ってくる彼の姿。

 

 

 

病室にいる間、立ったままVADバッグを抱えている彼の姿。

 

 

 

冗談を言って私を笑わそうとする彼の姿。

 

 

 

息切れもすることなく部屋を後にする彼の姿。

 

 

 

 

まだ、若い彼。

病人と思えないくらい明るく、元気がよい。

それまで私が想像していた今後のイメージをひっくり返すのには十分でした。

そんな彼との再会することを一つの原動力として、辛いリハビリもこなすことができました。 

彼との再会

その後に脳出血があり、ICUへ行ったり来たりする。

しばらくは病室を出ることが許されない日々が続いた。

 

 

ついに看護師同伴のもと病室から出ることを許された時、そこに彼の姿はありませんでした。

 

 

しばらくして彼の状態を知ることとなった。

正直に色々とショックを受けた。

病室には彼がいる。しかし、なかなか会う決心がつかなかった。

 

 

他のVAD仲間が彼の病室へ行くというので、一緒になって病室へ向かった。

言葉では表せないほど辛い状況のはずなのに、そこには気丈に振舞う彼がいた。

正直「強いなぁ。自分なら悪態をついているだろうに」と思った。

陰ながら心配していました

 

彼に再会してから、色々なところから彼の状態が耳に入るようになりました。

彼とは接する機会こそ少なかったですが、とても心配していました。

そして「早く移植の順番が回ってくるように」と祈っていました。

彼から教えてもらったこと

言葉ではありません。

 

新たに補助人工心臓を装着された方へ接する意味。

言葉ではなく体現されていました。

私もその意味を汲み取り、新たに補助人工心臓を装着された方およびそのご家族へ積極的に会いに行くようになりました。

 

 

今更このようなことを言っても仕方がないのは理解できます。

弟を亡くした時「日本で移植医療が定着していれば」と嘆きました。

そして彼が亡くなれたことを知った時、同じような感情になりました。

もっと早く、その時が来ていれば。

悔やみきれません。

彼の想いに報いるために

自分一人では何もできないかもしれない。

それでも「動く」と「動かない」では全く違う。

「1」と「0」の間にはとてつもない差がある。

彼からはそれを教えられた気がする。

 

 

結果的に「0」であるかもしれないが、少しでも移植医療を「普通の治療」として普及されるように行動しよう。

それが私なりの彼への弔いです。

 

 

 

残念ながら葬儀へ出席できそうにありませんが、気持ちは側にいます。

最後にお顔を拝見したかったですが、それは天国で再会したときの楽しみにとっておきます。

 

 

 

では、またね。