我が子の顔を忘れた日 <前編>

ブログ記事 救急搬送 エピソードの書き残しがあります。

とても大事なことなので日記へ書こうと考えていましたが、思い切ってブログ記事として残すことにしました。

人によってはショッキングな内容かもしれません。読んで欲しいですが、読む場合は一応心してください。


意識が戻った後、人の顔を見れば誰だか理解できていた。

ただし、頭に名前の文字が浮かぶも、読み方や意味は理解できていないし言葉にも出せない状況が続いた。

 

病院へ搬送され、院内をストレッチャーで運ばれる。

一生懸命ストレッチャーを引っ張る主治医に対してこんな言葉を投げかけたことを覚えている。

 

 

 

先生

 

先生の顔も分るんですけど名前が出てこないんです

 

 

 

ここまでの出来事はブログにも書いたし、家族にも話した。

 

 

 

ここからは今まで誰にも話していません。


目の前にいる人は覚えている。名前は出てこないが顔も理解できる。

主治医と幾つか会話した後、こう思った。

 

 

目の前にいない人は思い出せるのか?

 

 

 

思い出せませんでした。

ただ、家族がいるということは理解できていた。

そしてこう思った。

自分には子供がいるはず。

しかし

 

 

名前どころか顔、性別、年齢、人数さえもわからない

子供がいるということしか思い出せなかった

 

 

 

思い出さなければいけない

そう思って揺れるストレッチャーの上で一生懸命考えた。

でも分らない。

悩む。

更に考える。

やはり分らない。

さらに悩む。

 

 

何とか二児(姉妹)の父であることを思い出す。

しかし、そこから先が何も出てこない。

我が子の顔、名を忘れることはどれほどの衝撃か理解できないでしょう。

「想像を絶する」この言葉が妥当かもしれません。

あの時、私の頭はイカれていましたが、感情だけは正常だったと思う。

はっきりと覚えていることがある。

一瞬だけ頭によぎった感情。

 

 

このまま死にたい

 

 

 

しかし、その感情は直ぐに消えた

 

 

その後、考えることを全て放棄してした。

そして状況に身を委ねた。

私のような文才では、当時の心境を伝えきることは難しい。

しかし、それが私の覚えていることです。記録しておこう。

この闘病生活で「死にたい」と思ったことは何度かありますが、「放棄」したことは一度もありませんでした。

どこかで必ずブレーキがかかる。そして向き合い、立ち向かえた。

 

 

今回、回復後は周囲へ元気そうに振舞っていました。

だって、あえてそうしていたんだもん。

 

 

回復してから、はじめて「放棄」してしまった事実が自分自身の心へ突き刺さりました。

未だに自分自身で受容できず、心の中に闇として残っています。

あの時はなぜ「放棄」できたのだろう?

もし「次」があった場合は「放棄」せずにいられるのか?

就寝前になるとそんなことが頭の中をグルグルと巡り、自分自身を悩ませます。

我が子の顔を忘れた日

この事実を頭から消えないように刻み続けることが「起るかもしれない次」への対策のような気がしている。

次は放棄しない。

その自信を取り戻したい。

 

 

続く

facebook等でシェアしていただけると幸いです。

発信を続ける以上、多くの方に知ってもらいたいと考えております。

移植医療啓発に少しでも役立てればと思います。

いいね」と思った記事がありましたらシェアいただけると励みになります♪

facebook以外でのシェアもどうぞ


コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    happy (火曜日, 10 5月 2016 13:53)

    辛かったですね
    お父さん…忘れちゃたよ〜だからこれからお前達を
    幸せにするよ!って思いながら生きて下さい

    私も子供達を深く傷付けた事を悔い 今は溢れんばかりの
    愛情を注いでいます。

    話す事もできず ひらがなすら 読めなくなった時は
    もう 死んでもいいかなぁ〜って思った事も
    あります。今もひらがなに っん?ってなる事
    あるんです…でも生きていける*\(^o^)/*
    前へ前へ〜

  • #2

    プチ(管理人) (水曜日, 11 5月 2016 00:59)

    happyさん

    忘れていたのは少しの時間で今は全て思い出していますよ。たぶん、、、
    happyさんの経験にあるように可笑しな点を幾つか気づいてます。
    それは後編へ勿体ぶってみます。w
    超ポジティブシンキングで乗り切ります‼︎