十数年ぶりにこの映画を観ました。
邦題「ペイ・フォワード ~可能性の王国~」
有名な映画なので観たことのある方も多いかと思います。当時は「こんなストーリーってあるのか?いかにも美談って感じでアメリカ映画っぽいな」っというのが正直な感想でした。
改めて観たのには理由があります。
ある自分の想いとリンクしていることに気付いたからです。
今の気持ちを忘れないようにブログへ書き残しておきます。書き始めた時刻は深夜1時・・・
映画の内容は説明しません。
興味のある方は観てください。そして観たことを前提として勝手に書きます。
ペイ・フォワードの難しさ
映画のように他人に恩を送ることは非常に勇気のいる行動だと思います。
ここで質問。
「情けは人の為ならず」ということわざありますが、この意味を正しく理解していますか?
「情けをかけることは、結局その人の為にならない」と解釈している方を見かけることも多々ありますが、「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味です。
言葉の意味は知らずとも、この精神は日本人であれば自然に沁みついているものだと思います。
映画を観て良くも悪くも「結果を求めるが故に行動を難しくするのでは?」を強く感じました。
自分にできる恩送りは?
そして早くも終盤です。
臓器提供は究極のペイ・フォワード(恩送り)ではないでしょうか?
結果を求めず(気にせず)、恩のみを送る。
非常に似ていると思います。
それでも当然提供したくない方もいますので、誰にでもできる恩送りではないですよね。
そこで臓器提供そのものではなく「臓器提供の意思表示をすること」、これは誰にでも出来て非常に簡単な恩送りではないでしょうか。
臓器提供する、しないの両方においても当てはまると思います。
臓器提供する場合は、その臓器自体が究極のペイ・フォワードになると思います。
そして本人の意思が残されていない場合です。
残された家族には重大な判断を迫られます。
ほんの一例として「臓器提供を望んでいたのか?」、「これ以上、体を切りつけて欲しくない。」など。
残された家族の負担は想像を絶するでしょう。
家族の脳死を経験しているからこそ、その苦しみを良く理解できます。
臓器提供意思表示がされていれば、残された家族の負担を少なく判断できるようにするペイ・フォワードに成りえるのではないでしょうか?
心臓が停止した死後
臓器提供は脳死だけではなく、「心臓が停止した死後」という幅広いシーンが対象です。
意思表示をしておけば、色んな人への「恩送り」に成りえると思います。
臓器提供意思表示を「先行恩送り」とでも名づけましょうか。。。
国内で普及してない臓器提供意思表示
日本国内の臓器提供意思表示は浸透してない。
日本臓器移植ネットワーク あっせん対策部 易平真さんの講演にてお聞きました。
国内では色々な媒体で意思表示ができるのに、意思表示をされているのは全体の1割ほどに過ぎないと。
臓器移植の盛んなアメリカでも当初は同じような割合だったそうですが、今では4割近くが意思表示をしているということです。
お国柄の違いだけではないと思います。なぜ日本では浸透しないのでしょうか?
そこはお偉いさんに頑張ってほしいところです。
私なりの結論
臓器提供意思表示は子供からお年寄りまですることができ、障害や病気を抱えている方も可能です。誰でも可能であり、行動することの敷居がとても低いです。
プチの心臓は使い物になりませんが、心臓以外の臓器は使える可能性があるので意思表示をしております。
それは臓器を受け取られる方への「恩送り」であり、残された家族への「恩送り」でもあります。
臓器提供意思表示は臓器提供の可否を問わず、究極の「ペイ・フォワード」ではないでしょうか。
意思表示されていない方は一度考えてみてはいかがですか?
※意思表示方法はコチラを参考にしてください。
Posted by 拡張型心筋症 補助人工心臓 体験記 on 2015年12月26日
コメントをお書きください