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日本で心臓移植を受けるには何年待つのか?補助人工心臓植込み5年生となった今の気持ち

 巷では競泳の池江璃花子選手が白血病であると自ら公表したことを受け、日本骨髄バンクへのドナー登録への関心が高まっていると報道されている。様々な報道を見るたびに骨髄バンクに限らず、臓器提供意思表示についても関心が高まってほしいと思う日々です。

 そんな私は拡張型心筋症。忘れもしない補助人工心臓エヴァハートの植込み手術の当時2015年2月13日未明に壮絶な状態になりながらも手術を受けることができ、命を繋いでもらった。それから24時間機械の助けてもらいながら、様々な制限・危険・生活を背負って5年目に突入した。良くも悪くも変化の連続であり、今年もその状況が続くと思われる。

EVAHEART植込んでから1462日目の表示

心臓移植の願いは叶うのか?

 日本臓器移植ネットワークが公表している心臓移植までの平均待機期間はおおよそ1100日だが、これは臓器移植法が施行された1997.10〜2017.12までに行われた心臓移植376件の平均待機期間だ。

実際には1100日より伸びていることだろう、そしてこのままでは加速度的に数字が伸びると思われる。私がドナーとご縁を持つ日はもう少し先のようだ。

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私がドナーとのご縁を持つ日まで優先すべきこと

 今は移植を受けることよりも自身の心身ともに最低限の生活を維持できるかどうかが重要だと考えている。私の人生というプロジェクトにおいて心臓移植が重要なマイルストーンであることは間違のない事実であるが、あくまで通過点の一つに過ぎず心臓移植を受けた「その後」が大切だと考えている。

心臓移植を受けるその日までは「死なない」という絶対条件とともに、移植後の立ち上がりや生活を見据えた体力維持、脳卒中などの後遺症を残すような障害を予防する自身における体調管理なども重要となる。私はそれらを優先する。

心臓移植待機者も普通の人間だ

 健康な方であっても生きていく上で様々な事と対峙するが、それは移植待機者であっても変わらない。しかし、自分自身で対峙しようとしても行動が制限されることにより叶わないことも多い。ある人より「悩んだときは散歩をすると良い」と言われたが、確かに私もそう思う。しかし、厳密にVADを装着した心臓移植待機のルールを守るのであれば緊急時の対応が可能な介助者が付き添ってくれない限りはただの散歩すら叶わぬ夢となる。

そんな生活を1100日

 

 

ならよい

 

 

今はどうだろうか?

4年、5年、6年、7年、、、

 

 法律で認められ保険適用されている臓器移植という治療法があるにもかかわらず、望んでも受けることが難しい現状。これは子供に限った話ではなく、大人も同じだ。私とて億万長者であれば早々に日本での心臓移植に見切りをつけ海外で心臓移植を受けたいと思ったことがある。しかし、そんなことを言っても変わらない。

と思っていた時期もあるが、今は少し違う。

日本における臓器移植の現状を一人ひとりが伝える必要性

 今、日本で心臓移植を希望されている方は700名以上いるが、その一人の率直な気持ちとして表に出すべきと思うようになってきた。とても小さなことだし、誰の目にも留まらないかもしれない。

 

「宝くじは買わなきゃ当選しない」

 

そうだ、何もしなきゃ何も変わらない。

 

何の役にも立たないかもしれないが、少しでも人目に触れることで何かが芽生えるのかもしれない。そのような期待も込めて、これまでブログ記事を書いてきた。今回の記事もその一つだ。

P.S. 変えたらいかんものは、変えたらいかん

 この言葉を知っている人も多いだろう。時代に合わせて変えなきゃならないこともある。時代を受け容れる冷静さ、変えられるものを変える勇気を持つ。しかし、私にはその両者を見分ける英知が足りない。
ただ、これだけは変えたらいかん。そう思っていることがある。

 

 植込み式VADを装着した心臓移植待機者であるからこそ書ける言葉がある。心臓移植を受けたら「過去のこと」としてしか語れない。私が語りたいことは「過去」や「未来」よりも、「今」なのだ。この信念だけは変えたらいかん、そこを変えたら私でなくなる。そんな生半可ものだったのならこのホームページごと削除してしまったほうがよいとさえ思う。

私は「病気になってよかった」とは絶対に言わない。健康体でいることのほうが良いことに疑う余地はないし、みんなにはいつまでも健康であってほしい。ただ、「ある側面」において「病気になってよかった」と思うことはある、それで自分の内にある葛藤を静める材料にしつつ、心と実生活環境の折り合いをつけて進むしかないのが実情だ。

※皮肉を込めて「進むしかない」ではなく「待つしかない」と言いたいところだ。

目先の目標は退院、あとは家に帰ってから

 何も考えなくてよい生活であればどんなに楽であろう。ぼーっとすることもできなくはないが、実際にぼーっとできる時間は短いもので180度、いや360度全方位から悩みや不安が湧いてくる。気がつけばそこに囚われてしまうことも多く、じっとしている方が辛い。

私自身は無気力になることはあれど、鈍感になることは少ない。どちらかというと敏感になりすぎて何もかもが気になってしまい出口のない迷路に入り込んでしまう。打ち込めるものがあればそこに集中していられる環境が良いのかもしれない、それは人によって異なるだろうが仕事や家事、趣味なのかもしれない。しかし、身体や環境がそれを許してくない状況も少なくないと感じる。長期間の心臓移植待機生活を強いられる日本においては、ある種の「鈍感力」を身につける必要もあるのかもしれない。

なお、傷は痛い。VAD5年生になってようやく体感中。(写真掲載はやめておく)

 

 

一人でも多くの目に留まったらいいな

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