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「補助人工心臓を死ぬまで使う」現患者が感じること

子供を膝にのせて本を読み聞かせる父親

 補助人工心臓を植え込んだ私にとって、昨日の日経メディカルで気になる見出しの記事が掲載された。詳しい内容はわからないが、おそらく触れられていないであろう一患者のモヤモヤした気持ちを書き出しておく。

補助人工心臓の適用対象拡大は良いことだ

 私は適用対象拡大について良いことと捉えている。現状は治験を除き、心臓移植対象者という方でないと使うことができない。それら条件の一部を書き出すと下記の通りだ。

心臓の模型

心臓移植の適応条件

  1.  不治の末期的状態にあり,以下のいずれかの条件を満たす場合

a.長期間または繰り返し入院治療を必要とする心不全

b.β遮断薬および ACE 阻害薬を含む従来の治療法ではNYHA III 度ないし IV 度から改善しない心不全

c.現存するいかなる治療法でも無効な致死的重症不整脈を有する症例

  1. 年齢は 65 歳未満が望ましい
  2. 本人および家族の心臓移植に対する十分な理解と協力が得られること

心臓移植の除外条件

  1. 絶対的除外条件
  • 肝臓、腎臓の不可逆的機能障害
  • 活動性感染症(サイトメガロウイルス感染症を含む)
  • 肺高血圧症(肺血管抵抗が血管拡張薬を使用しても6 wood単位以上)
  • 薬物依存症(アルコール性心筋疾患を含む)
  • 悪性腫瘍
  • HIV(Human Immunodeficiency Virus)抗体陽性
  1. 相対的除外条件
  • 腎機能障害、肝機能障害
  • 活動性消化性潰瘍
  • インスリン依存性糖尿病
  • 精神神経症(自分の病気、病態に対する不安を取り除く努力をしても、何ら改善がみられない場合に除外条件となることがある)
  • 肺梗塞症の既往、肺血管閉塞病変
  • 膠原病などの全身性疾患

出典元:Statement for heart transplantation(JCS 2016)

心臓移植について、とても詳しく書かれています。患者・家族には不要かと思いますが心臓移植にかかわる医療従事者やVADや移植医療の普及啓発を行う方達は読んでおくべきドキュメントの一つでしょう。


日々を元気に過ごしたいという願い

幸せな家庭生活

 日々を元気に過ごしたいあるいは日々を元気に過ごしてほしいと望むのは意識せずとも誰しもが願うことではないだろうか?

私のように心臓移植を待つ患者や家族にも共通することだろう。そして、心臓移植の対象とならない(植込み型補助人工心臓)を使えない方達にも共通することだと思うが、いかがだろう?そもそも元気とはなんだろうか?

  1. 心身の活動の源となる力。
  2. 体の調子がよく、健康であること。また、そのさま。
  3. 天地の間にあって、万物生成の根本となる精気

デジタル大辞泉より

植込み型補助人工心臓をつけてる私は元気なのか?

希望の桜

 私は植込み型VADをつけて日々を元気に過ごせているのだろうか?そのような自身の問いへ答えてみたい。

 

 死ぬような苦しい状況から回復し、自宅へ帰ることができた。私の過去に体験した出来事からすれば想像もできなかった素晴らしい日々を過ごすチャンスを与えられた、そう心の底から感謝した。しかし、自宅生活の日々が長くなるにつれ色々なことと対峙し、自身の心と向き合う辛い生活も並行して与えられていた。それらの状況を差し引いても「生きたい」を選択してよかったと思えた、それが補助人工心臓に秘めたらポテンシャルの高さだろう。

シーソー

 色々なことと対峙しながらも復職し、VAD装着者や家族などとのコミュニティを立ち上げ、微力ながらも移植医療の普及啓発といった活動にも携わることができていた。語彙力の乏しい私では表現できないような苦しい状況もあるが、それらを相殺して多少のお釣りがくる程度の元気な生活を過ごしていた。

 しかし、心臓移植待機生活も5年目を迎えた現在はどうだろうか?日が経つにつれてマイナス要素ばかりが力を増し、プラス要素を失っていくことを感じている。2017年10月のブログ記事 これがリアルな心臓移植待機生活だ で綴ったマイナス要素が強くなってしまった状況である。 

バランスを失ったシーソーの傾きには歯止めがきかず、間もなく底に着くことだろう。(もしくはシーソー自体が折れるというべきか?)

VADという医療機器の限界はどこにある?

行き止まり

 これが私にとって植込み型VADという医療機器で得られる元気の限界なのだろうか?「心臓移植まであと3年待ちなさい」と言われたら、今の私なら「無理です」と即答することだろう。現在の生活の延長線上にある3年後を想像するなんて正直馬鹿げていると思うし、考えるまでもない。しかし、日本の心臓移植事情を見るとそのような状況へ近づいているのではないかと感じる。

断りを入れておくが、これから心臓移植や補助人工心臓の装着を気にされる方の不安を煽るつもりはない。実際に心臓移植を待つ身として、然るべき方へ声を届けなければならないと感じているため書いている次第だ。

VAD装着時の誓約も変わる?

誓約書へサイン

 今回のニュース記事では移植までの繋ぎとしての補助人工心臓利用(BTT)ではなく、心臓移植を目的としない補助人工心臓利用(DT)である。私のようなBTT利用は心臓移植が目的であることから、先の長いタイミング(ご縁)までベストコンディションを維持する必要があるため、厳しい行動制約がある。DTでは目指す先が異なるのだから、その内容はBTTとは異なるものになるのだろうと予想する。

BTTではあるが丸4年間補助人工心臓を利用している私から言いたいことがある。

 

私は 心臓移植を受けて元気な日々を過ごしたい という未来への願いを持っている。

同時に 今という日々を元気に過ごしたい とも願っている。

 

 後者はDT利用でも共通する点ではないだろうか?むしろ主目的になるのであろう。だからこそ患者サイドの行動制約も大きく違いが出てくるだろう。私が予想するにDTはBTTの行動制約よりは若干緩くなると考えているが、目的が違うのだから自然なことだろう。

私自身、BTTの行動制約で「死ぬまで使いたい」という気持ちは持てない。それでは私の家庭環境では人間らしく生きていくことができないからだ。

持続可能性を持つ医療への成長を望む

 BTT・DTも患者だけではなく、医療経済として持続可能性を有しているのだろうか?財源はどこから出てくるのか?植込み型補助人工心臓自体は機種にもよるがおおよそ2000万弱の費用がかかり、その維持には1年間に1000万を超える。心臓に限らず移植適用条件を広くできれば、臓器移植という高価な医療機器に頼らない「ローコスト医療」も実現可能ではないのか?むしろ、日本が目指す先はそこにではないのか?

  頭の中でグルグルとめぐる考えの先には「国内で臓器移植という医療の普及が急務」という点に行き着く。そこには日本に住む方に臓器提供という制度と意思表示の大切さを理解してもらいつつ、医療施設側での臓器提供を受け入れることが可能な体制整備へもっと積極的に力を入れる必要もあると考える。

あなたの地域で救急搬送される先の病院は、臓器提供が可能な施設だろうか?一度調べてみてはどうだろうか?

 

ダウンロード
ガイドライン上の5類型に該当する施設
厚生労働省によって行われたアンケートに対し、臓器提供施設として必要な体制を整えていると回答し、施設名を公表することについて承諾した施設(平成30年3月末時点)
※日本臓器移植ネットワークより
offer_facilities.pdf
PDFファイル 751.3 KB

他国の臓器提供事情について<オランダ>

 オランダでは2016年に成人が臓器移植のドナー(提供者)となることを原則とする法案が成立し、2020年に施行される予定だ。同法案は日本と同じようにオランダ国内で臓器移植のドナーが不足している現状に対応する目的で提案された。

 

<法案の概要>

事前に拒否の意思を示さない限り、全成人がドナーとして登録される。

まだ登録を済ませていない18歳以上の国民に対しては、臓器提供を希望するかどうか確認する通知を全員に送付する。6週間以内に返答がなかった場合、その人物はドナー候補として登録される。

臓器提供を希望するかどうかは、自分で意思表示をするほかに、近親者や自分が指定する人物に判断を委ねることもできる。臓器提供に関する意思は、いつでも変更することが可能である。


「オプト・イン」と「オプト・アウト」の制度の違い

臓器提供意思表示カードの裏面

 臓器提供意思表示には大きくオプト・インオプト・アウトという2つの制度に分けることができる。オプト・インは米国・英国・ドイツそして日本のように臓器提供をしたい場合にその意思表示をする方式。

もっと簡単にいうとオプト・イン(日本)では初期値が「臓器提供をしない」であり、そこに本人の「臓器提供をする」という意思があれば「臓器提供がされる」、もしくは家族全員の承諾をもって※1「臓器提供がされる」のである。

※1 当初の臓器移植法では盛り込まれておらず、2010年の改正臓器移植法で盛り込まれた内容だ。

 

日本は改正臓器移植法で拡張されたオプト・インという立ち位置だろうか?

 


「オプト・アウト」の代表国 スペイン

スペインの国旗

 日本のオプト・インに対して、スペインでは本人が臓器提供拒否の意思を示していない以上、臓器を摘出してもよいとするオプト・アウトを採用している。詳しいことは専門の方にお譲りするが、これはスペインという国の経済事情とも関係していると認識している。さて、日本はこれからどのように変化するのだろうか?

その変化を見届けるためにも、私は早く心臓移植の機会が巡ってくることを願う。

誤った事実や補足が必要な点があれば、コメントしてください。

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コメント: 4
  • #1

    徳永晃 (木曜日, 28 3月 2019 22:13)

    的確なコメントに、いつも驚かされるというか、勉強になります。ありがとう。

  • #2

    Satoru Ishii(管理人) (日曜日, 31 3月 2019 13:08)

    的確な内容かはわかりませんが、こちらこそありがとうございます。一番の励みはイイねボタン等ではなく、コメントです。
    私のモヤモヤした気持ちは脳内だけで考えず、文字や図として紙へ書き出して整理するようになりました。私の場合は、それをやらないとずっとモヤモヤしてしまいます。その結果をブログへ書くこともありますが、その過程はなかなかブログとして公開することは多くないです。(公開できるほど穏やかなな内容ではないので)

  • #3

    片山弘幸 (月曜日, 01 4月 2019 02:10)

    とても勉強になります。
    心臓移植の後、本当に自由になれるのか?生活に制限がかからないのか?
    IPSのような再生治療では駄目でしょか?
    臓器移植の限界を感じてますがそれ以外方法がないのが現実ですね

  • #4

    Satoru Ishii(管理人) (水曜日, 03 4月 2019 12:03)

    >片山さん
    私も移植後の生活に不安を抱えていますが、それらは「人生」というもっと大きなものへの不安なのでは?と感じています。「人生」として捉えると、少し気が楽になったりします。
    人生いつでも苦労はついてまわる、山の頂にいるときと谷間にいるときでは見える景色がちがう。まさに「人生山あり谷あり」とはよく言ったものもですね。

    私も心臓移植を必要としない治療法が確立されるほうが良いと思います。
    ただ、他の治療でも言えることですが万人に当てはまる治療というものは存在しないと思います。そのためにも、VADや臓器移植という医療も高めておく必要があると考えます。